日露戦争のときに非戦論を許した当時の日本の政府というのは、ある意味では大したもんですよ。幸徳秋水、内村鑑三の非戦論を許しえたのですからね。そういう時代というのは、いま考えれば、一種の対話の精神があったでしょうね。『プラトンに学ぶもの』(永井道雄との対談)
— 田中美知太郎名言集 (@TNKmttR) 2014, 11月 27
日本は文化外交が下手である。アンドレーマルローのような文化の塊が文科大臣をやる国と、文化的にはほとんど縁のない人が大臣をやる国とでは文化の質が違ってくる。永井道雄の時はさすが文化に少し光が当たったが、永井さんの友人のドナルド・キーン氏が日本に帰化したついでに文部大臣をお願いしよう
— 尾俵光達 (@odawarakouta2) 2011, 10月 9
【肥田美佐子のNYリポート】日本永住を決意したドナルド・キーン氏に聞く「震災後、米国人の親日感情は最高潮」http://on.wsj.com/jhoCNU
以来、親友になった。のちに文部大臣となった永井道雄氏(故人)である。素晴らしい人だった。彼に出会ってから、現代の日本も知らね
— Louis Adamic (@ebook_global) 2011, 5月 17
「実は、三木内閣の民間登用の文部大臣になったその永井道雄氏の前職は、「朝日新聞論説委員」である。いわば天声人語子と同じだ。」脱して欲しい「教育理想論」 http://t.co/nStllSyfBc
— ChanceMaker (@Singulith) 2013, 11月 21
②その後、「女子大生亡国論」というのもあったし、筆者の学生時代には「レジャーランド化」とたたかれた。むろん、もっと高尚な批評もあって、三木内閣時代に民間から文部大臣になった永井道雄は「いまの学校は西洋の中世末期の教会に似ている」と評したそうだ
— バリバリダー (@s_e_i_y_a_a_a) 2012, 12月 30
「ゆとり教育」を考え直す必要も(8)番組の中で、この相違に対する感想を求められた三木内閣の文相だった永井道雄さんは、「誰しも、経済が発展し国力があるときは、国の教育がいいからだと考え、国力が衰えてきたら教育が悪いからだというものですよ。
— みすず学苑・縄文太郎 (@joumon_taro) 2012, 12月 10
朝日朝刊、天声人語。評論家大宅壮一は、戦後の新制大学を駅弁大学と揶揄。三木内閣文部大臣の永井道雄は、"今の学校は西洋の中世末期の教会に似ている"と。中世末期、教会はカネ集めの為に免罪府を乱発、教会が栄えて宗教は衰えた。永井は免罪符を"卒業証書"に置き換え、学校のあり様を嘆いた。
— だるま社長 (@vamdaruma) 2012, 11月 6